まめサヤ日記

おいしいアンコになる為にサヤの中で日々奮闘中

おもひでゴロゴロ 自分昔話 3

久しぶりに昔のことを書こうかな。

ちょっと気持ちがキュウキュウしててね。

 

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アルバイト

大学生の時、経済的には親のおかげで不自由なかった私。働くことをまだわかってなかったと思う。

そんな私が経験した2つのアルバイト、今の時代では考えられない事もたくさん。

 

1つ目はイラスト描き。

漫画が好きで見様見真似でいろいろ描いていた。学園祭に出すサークルの紹介冊子の表紙をたまたま描いたところ、出入りしていた印刷屋の社長の目に止まりいくつかバイトで描いてみない?と誘われた。市の広報誌に載せるちょっとした挿し絵的なモノ。前に使ったモノをちょっと変えて7、8個。半分くらい採用してもらったのかな?1個いくらの凄まじい丼勘定でバイト代をもらった。いくらもらったか今では思い出せないけど結構いい額だった(当時の私には)

小さな印刷屋の社長が単発で雇っただけだったのでその後は無し。

 

2つ目は食事作り。

私は高校からエスカレーターで大学に進学した。その附属高校では2年生の夏に林間学校がある。長野の山中、とある湖のほとりに学校の寮はある。生徒数が多いので2泊3日くらいで2クラスずつ順番に来るのだが、そのうち1週間ほどを担当する。

私と同じく附属から来た友だちに誘われて行ったのだが、これはハードだった。何しろ家でも食事なんか作らないのに、いきなり100人分くらいを4人で作るって…ただ捨てる神有れば拾う神あり。バイトメンバーには必ず1人手際のいい料理上手が居る。私はせっせと米炊き担当。それでも給食室で使うような大鍋を4個くらい。それを朝晩。昼は生徒は仕出し弁当を出先で食べるので自分たちの分を残り物で適当に。生徒の就寝時間後は先生たちとお疲れ様飲み。附属上がりなので顔見知りの先生も多く結構楽しかった。朝早起きなのと、訳の分からん凄く痒くなる虫(たぶんブヨ?)と夕立が辛かった。夕立は酷いと停電が起きて、1度炊飯中に電気が落ちた。件の大きな鍋を炊飯機から出してガスで炊いたこともあったっけ。このバイトもいくらもらったか忘れてしまった。そこそこの額はもらったのかな。時給なんか頭になかった私、今思うと結構安く使われていたかもね。でも交通費ももらったから旅行気分も味わえてよかったかな。懲りずに冬のスキー教室も行ったから楽しかったんだろうな。まぁ冬は半端なく寒かった。とにかく建物古いから隙間風すごいし、スキーするくらいだから雪深いし。夏は虫多いから昔ながらのハエ取り紙がたくさんぶら下がっていたっけ。

 

どちらも単発のバイト。職場の人間関係とかシフトとか無縁のお気楽な仕事でした。懸命に働いていた皆さん、ごめんなさい。

今せっせとバイトをして、友だちと出かけたりゲームに課金したりしている我が息子。彼もまた高校受験から大学受験までお世話になった塾でスライドしてアルバイト採用された。自分で探す苦労はしていない。幸いコロナ禍でもずっと働けた。息子よ、これは本当に稀な事なのだぞ。私と同じようにわかってないんだろうな〜。親子だね。君がバイトしてくれるおかげで、お小遣いあげなくて済むようになったから母は助かってるけど。

きっと就職活動するまで私と一緒で世間を知らずに行くんだろうな。最近はあまり口を出さないようにしてる。今までいろいろ面倒見すぎた。親離れ子離れしないとね。

昔を思い出して今を思う…