まめサヤ日記

おいしいアンコになる為にサヤの中で日々奮闘中

おもひでゴロゴロ 自分昔話 2

落語研究会

中学、高校と帰宅部だった私。大学に行ったら絶対『落研』に入ると決めていた。自分でもびっくりなくらい揺るがない思い。きっかけは漫画。中学生の時ちょっと入院したことがあり、その時差し入れにもらった雑誌マーガレット(懐かしい〜)。そこに載っていた桂むつみの漫画にキョーレツに惹かれた💕特徴的な縦長の目の女の子、背景や小物や洋服…全てがカワイイ。ストーリーはとにかく胸がキュンとするおとめちっく(あくまでひらがな)な恋のお話。漫画は大好きでいろいろ見てきたけどとにかく私史上最高にハマった。そしてこの桂むつみの「みるくパステル文庫」という漫画に『落研』は出てくる。漫画の内容が良かったから?『落研』に入れば自分もこんな風になれるとでも思った?今となってはあの頃の思考回路は理解不能だが『落研』という肩書き?に憧れたのだ。

入学してすぐに『落研』へ。しかし私は最も大切な事を忘れていた、いや解っていなかった。私が入ったのは略して『落研』、正式名称「落語研究会」だったのだ。落語なんてまともに聞いた事ないのに、人前でそんなモノを出来るのか?案の定落語を本の通りにしか出来ない、アドリブ全くきかない、今考えても顔から火が出るくらい恥ずかしい高座姿…4年間落語には苦しめられたが、私の『落研』ライフは満足できるものだった。

今の大学サークル事情はよくわからないが、あの頃は『落研』はほとんどの大学にあったと思う。ただ女子所属率は低く、まして女子大の『落研』は珍しかった。発表会のお知らせはいろんな学校から届くし、女子大フィルターかかってるから行けばもう逆ハーレム状態だよね😅

内情は新入生入らないのに卒業生は抜けて行くから万年人不足。私の同級生も2人居たのに2年になる時にはフェードアウトしちゃったし、せっかく入った後輩はサークル掛け持ちでほとんど来ない。3年生になった時私1人になった。部室は第2の私の部屋のようになり授業以外入り浸り。単独の活動は学園祭しかないけれど、幸い代々続く隣にある大学との交流で合同発表会は出来た。苦手な落語は年に2回で十分だ。あとは肩書き?背負ってビューティフル『落研』ライフ。『落研』に居るだけで私はいいの、よくわかんない『落研』愛。最高に楽しい時期でした。

でも4年になっても1人。卒業が迫って『落研』を畳む決心をした。どこの大学も人不足は同じ、落語だけでなく漫才をするサークルもあった。時代の流れなのね。追い出される会もなく寂しく『落研』ライフを終えようとしていたら、お隣さんが声をかけてくれた。お隣さんは毎年4年の追い出しの会を浅草の木馬亭と言うプロの方たちが普段は立っている会場でやっていた。そこに私も一緒に立たせてくれて、追い出してくれると言うのだ。そんな立派な会場だから、協賛するOBで反対する方もいただろうに…世間知らず能天気な私、どうお礼をしていいかわからず当日自分で縫った浴衣を1枚お礼として置いて来た。前座を務める1、2年生は何枚かの浴衣をみんなで着るので少しでも足しになればと。それが正解だったのかわからなかったけど、卒業して何年か後にその浴衣を着た子を見た時は嬉しかったなぁ。

漫画みたいなおとめちっくな経験とは縁が無かったが、親の敷いたレールをずっと走って来た私がそこからちょっと外れるきっかけをくれたのが『落研』だった。

あ、最後になっちゃったけど『落研』は「おちけん」と読んでください。「らくごけんきゅうかい」だけど「おちけん」なのです。『落研』LOVE❤️