まめサヤ日記

おいしいアンコになる為にサヤの中で日々奮闘中

落ち着かない日々

8月にコロナ感染した息子。

 

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今度は9月が終わろうとしている時にインフルエンザ感染🤒

また隔離の日々。インフルエンザは確定すれば即治療薬が出るので、コロナの時ほど戦々恐々とした気持ちは無かった。10月中旬にゼミ合宿の予定があったので今罹って完治するなら良しとしよう。

 

ところがこれだけで終わらない。息子のゼミ合宿の直前、ホームに居る母が救急搬送。

お彼岸に外出させて家に来た時いつもより痰が絡んだ感じで、その後数回ホームから熱が出たと報告があった。次の日には下がるので、往診医にも診てもらいつつ経過観察中だった。

また熱が出て酸素濃度がかなり低い状態になったので救急車を呼ぶと連絡があった。

結果としては誤嚥性肺炎。そのまま入院。酸素濃度、血圧ともに安定せず、急変もあり得ると言われて帰って来た。

息子の行き先は北海道。急変しても簡単には帰れない。母が喋れたとすれば必ず息子には学業優先と言うはずなので、何かあれば連絡はするが最後まで合宿に参加するよう言って送り出した。

その後悪いながらも安定したようで病院からの連絡は無し。無さすぎて心配になって来た時に次の騒動が起こった。

 

母が入院して10日ほど経ち、ソワソワしながらも入れていた予定をこなしていた私。久しぶりに友だちのフラワーアレンジメント教室に行ったその夜、頭痛と微熱。何かおかしい。翌日朝から発熱。喘息でかかりつけの医院はコロナ対応していない。近所の発熱外来に行きインフルエンザとコロナの検査。見事コロナ陽性。どこで?出先の室内や乗り物ではマスク継続していたのに。根がズボラだからピーク時に比べたら多少消毒とかはサボったかもしれない。でも息子の時あんなに世話していてもうつらなかったのに。

そんな事を考えながら病院の隔離テントにいると、3日ほど前にあったまち歩きの会のメンバーから連絡。最高齢のおばあちゃんメンバーがコロナ陽性。え〜〜〜!今私も診断出ましたけど。その後もう1人のおばさま、さらに会長のおじさまが陽性と報告が入った。参加10人中4人感染ってちょっとしたクラスターじゃん。報道はされなくなってもまだまだ状況は変わらないんだね。自分がなってしみじみ納得。

リモート診察で電話でしか医師と話せず、それほど重症では無さそうですが治療薬も出せます、どうしますか?と聞かれた。母も入院中、喘息持ち、そこに最近糖尿病の薬もプラスされた私は迷う事なく治療薬を選択。最高39度2分まで出たけど、薬のおかげで解熱も早く5日目にはほぼ元通り。しかし良かったと思えない騒動が同時進行していた。

 

予想はつくと思うけど、私の陽性診断2日後、旦那も陽性の診断下る。

そりゃそうだ、最初の頭痛発熱の時風邪か、最悪インフルエンザと思って寝室分けてないもん。申し訳ないと思いながらも私と同じような経過で治ると思っていたら。。。

まず同じ病院に行ったけど先生が違うとここまで!と思うほど対応が違う。旦那は睡眠時無呼吸症候群でコロナワクチンは一応持病有りの扱いになってた。今回診察の時も伝えたけど治療薬の「ち」も出ずに対症療法の解熱剤や喉の薬しか出ず。それでも一般的には5日ぐらいで落ち着くようなので様子を見たけど熱が全然下がらない。流石に5日目にもう一度電話で病院に相談。薬を増やされただけで、それでも変わらなければ更に2日後同じ医師のいる日に連絡をと言われた。結局変わらないので連絡してやっと対面で診てもらえる事になり、いろいろ検査した結果コロナ肺炎の診断。ただもう治りかけのようとの事で、違う解熱剤と咳、痰の薬を出された。

しかし旦那の熱は下がらず、ますます上がるしその際の苦痛が酷くなる一方。病院の対応に少し疑問を持ったし、このままではまずいので救急相談にまず電話をした。ところが旦那は苦しい中でもトイレも行けるし水分も摂れるし食べるのも少ないながら食べるし酸素濃度もいつもより低めでも95%ぐらいで、対応としては近所の内科に行くという答え。いやいや、水分は摂らないと危ないから、食べるのも薬を飲むため、トイレも体が大きい旦那を私が世話出来ないからだから💢

どうしても動けない状態、状況になったら迷わず救急車をって言われたけどその日は1日我慢した。でも次の朝、1週間以上続く熱で体力限界にきて旦那が救急車呼ぶと言った。朝8時、救急車が来て隊員さんがいろいろ診てくれたが、夜中に熱で耐えきれず解熱剤を飲んだので37度5分、酸素濃度も95%、今までの経緯を話したが搬送しても入院条件に合う体の状態では今は無いとの事。救急隊員さんは搬送しても搬送先が判断するので立場は弱いらしい。今まで親関連でさんざんお世話になっているのでよくわかる。なので一旦帰ってもらった。

それでもこの状態でまた病院に行くのはかなり疑問だったので、しばらく様子を見ていた。時間の経過と共にまた熱が上がる。今回は震えも酷く呼吸も深くすると咳込むので浅くしか出来ず酸素濃度が90%ぐらいまで下がる時も。熱も一時40度を超えた。これはもうダメだ。再度救急車を呼んだ。ところが入院を想定して病院をあたるもなかなか見つからず、コロナの療養施設に空きはあるが結局医療関係者はいても家に居るのと変わらない状態にしかならない。旦那は散々迷って行くと判断しかけた時、その施設の医師が発症してから時間が経っているから、コロナ由来の肺炎なのか判断した方がいいと言ってくれた。そのおかげで入院はまず置いて、今の状態を診てもらえる病院を探してやっと隣の区に見つかった。

検査の結果コロナはまだ陽性反応。肺炎もあるのですぐに入院して処置を始めると決まった。

肺炎治りかけじゃなくてなり始めだったんじゃない?今まで親がお世話になった病院だったけど。。。不信感。。。私は良かったと思える対応してもらったけど。。。先生によってこうも違うのか。でも旦那診た先生、私の父も診てたベテラン。。。

 

苦しい思いはしたけど今は隔離部屋で点滴生活。ご飯もちゃんと食べているし、しょっちゅうLINEは来るし。家にいる時より元気になってる。本当に良かった。順調なら1週間くらいで出られるかな?

この1か月ちょい、本当に落ち着かなかった。気持ちはザワザワしっぱなし。健康の大切さがよくわかったし。旦那が退院したら一緒に近所を散歩して体力回復していこう。

 

でも。。。一難去ってまた一難。嵐が来る。

我が家にもとうとう

8月初め、バイトから帰った息子が喉の違和感を訴えた。うがいをして治まったので風呂に入って寝た。翌朝体がだるいとのこと。あー、これは。。。熱は37度5分。

ここまで危うい事もあったけどなんとかコロナの侵入を防いでいたが。急いで抗原検査キットを買ってきて検査するとクッキリ陽性!近所の病院の発熱外来は午後しか空いてなかった。仕方ないのでそれまで部屋で1人頑張っていただきましょう。滅多に出さない熱でヘロヘロになりながらバイトの代わりを手配していた。

病院で解熱剤や喉や咳の薬をもらい隔離生活が始まった。私と旦那は基礎疾患持ち。おまけに母をお盆に連れて帰る予定だったので慌ててホームに連絡してキャンセル。次の面会も予定が立たないのでしばらく行けないと伝えた。5類になったとは言え高齢者や基礎疾患持ちにはリスクが高い。

喉の痛みが酷くて最初の2日はうどんで命を繋ぐ息子。熱も最高は39度2分。まだ大学生だがもう成人、不規則な生活している割に病気になると弱音のオンパレード。正直面倒くさい。こっちの方が万が一うつったら大変なことになるのは確か。食事運んだり消毒したりいつもよりやる事多いから体力削られるし。

戦々恐々としながらも旦那共々体調には変化なく、5日目には息子も平熱に。咳は残ったけどおそらくコロナは治ったかな。良かった、頑張ったぞ私。さらに5日経とうとしてるけど症状なし。これならもう大丈夫だろう。

報道はほとんどしなくなったけど、まだまだどこで罹るかわからない。油断は禁物です。

楽あれば苦あり

母が老人ホームに入居して4ヶ月。予想外の事が多すぎて(いや、私の予測が甘かった)精神的に疲れてる😓そこにこの暑さ、いろいろ気力が削がれる(涙)

前の記事に書いたように母は精神的な不安定さが更に増している。

 

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メンタルの薬の内容が変わったり、職員さんが特に報告が必要と思う事がある時には電話をくれる。あくまでもそれが仕事の一環だから電話をくれるのだけど、少なからず母の遺伝子が入っている私には「厄介な奴と思ってる?」「そのうち追い出されちゃう?」とか思ってしまうわけで。そんな自分もイヤで仕方ない。向こうは仕事、業務連絡!!と心に強く言い聞かせる。あぁ神様、私にもう少し鈍感力を…

 

そんなわけでやる事、やりたい事は目の前に山ほどあるのに手をつけられずに毎日ダラダラ過ごしている。気が向くと夕方からゴソゴソ動き出す。掃除をしたり整理をしたり。あまりいい傾向でないのはわかってる。義母の介護の時、夕方にしか外に出られなくなった。介護家族教室で、それは鬱の入り口に立ってるから明るい時間に外に出ろと言われた。今回も似たようなもの。でも介護する人が居ないだけマシ。幸いなことに旦那も息子も内容はどうあれご飯が出てくれば文句は言わない(心の中はどうだかわからないけど)。だから今は時間に関係なくしたい時したい事をする。もちろん家族が寝る時間は私も寝る💤

 

自分から外に出るのは億劫でも誘われれば行く。母が居なくなった分身軽にはなった。ゆっくりとしたランチや1日お出かけなんてのもOKに。昨年LINEで大学時代の友だちと繋がった。今年会おうとなって場所が決まったらあれよあれよという間に日が決まって…子どもも成人して家族の世話はサラッとすれば良い環境は皆同じようで、何ヶ月後なんていうより1週間後の予定はどう?なんて方が案外すぐに決まるようだ。20年ぶりくらいなのに気負わず会える仲間が有難い。

上はGWのはとバスツアー、下はつい最近の牛久ツアー。もうすぐ還暦のオバさんズだけど、心は女子大生(笑)

そんなこんな楽しい思いをしていれば反動もあるわけで。

母の面会は本音を言えば月1回にしたいところだけど、精神不安定が振り切っちゃってるから月2回に今のところはしている。これ以上は私が無理、壊れる。それでも行く度気が重くなる話を聞かされ、担当の職員さんも一緒になだめすかし、日用品の在庫を手早くチェックして次回来る日をカレンダーにデカデカと書き入れて逃げるように出る。穏やかににこやかに日常の会話をしたいだけなんだけどな。

母はいつからこんなにネガティブになったんだろう。私が学生の頃の母は本を読むのが好きで古典文学の勉強サークルに入っていた。もっと前、小学生の頃は作文のサークルにも入っていた。少なくとも専業主婦ではあったが趣味があり外にも出て行く人だと思っていた。父と一緒ではあったが旅行にも結構行っていたし海外も数回行って、家で中学生の基礎英語を勉強していた。今も気が向くとテキストを眺めている。

そういう好きな事、趣味を継続するのは難しいのかな?でも世の中そういう高齢者も沢山いる。楽しいと思える事をもっと沢山持っていなかったから?今居る場所で見つけようとか思わないのか?疑問はたくさん浮かぶが解決法はわからない。気力の問題なのかもね。

自分もいずれ母と同じように歳を取ったらわかるかもしれない。でも母のようにはなりたくない。理想論かもしれないけれど、今のうちに楽しいと思える事、やりたい事、沢山心に貯金をして婆さんになってもその時出来る笑顔でいられる事をやって行けたらいいな。

一方母は何を心に隠しているかはわからんが、家に帰りたいと言う。もちろん在宅介護に戻るのは無理だし、福祉用具も解約したので外泊も無理。外出ならばなんとか…イヤだけどさせてあげられそうなので、お盆に1日連れ帰ることにした。お寿司とケーキでも買って食べさせて、父の墓参りをさせよう。気分転換になればこれからのホームでの生活も多少変わるかな?

しばらく月2回の面会は続きそうだけど、これからの季節の楽しみがホームの近所にはある。それは梨!梨街道という名の国道に直売所が並んでいる。先日暑かったけどドンヨリした気分のままでは精神衛生上良くないので初物の幸水をゲットして帰った。秋までいろんな品種が続くのでそれを楽しみにホームに行くとしよう。

人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し、暑さ寒さも彼岸まで…

楽しいこと苦しいことを繰り返す今をそのうち懐かしく思い出す日が来るのかな。その日は楽しいことだけをしている私でありたいな。

 

 

 

 

 

 

いろいろありまして

疲れて愚痴った前回の記事が1月、4ヶ月経っていた。。。

あれからいろいろありまして、結論から言うと3月末に母を老人ホームに入居させました。

 

最初に順番待ちしていた所ではなく、そこより近くて同じ会社の老人ホームになりました。決まってから病院の診療情報集め、ホームの方との面談、家具の買い出しなどでバタバタ。入居しても往診の1回目は立ち会いがあったりで、なんだかんだ週1回はホームに足を運んでました。ゴールデンウィークを挟んでやっと月2回に面会を減らせるかなと思えるくらいに落ち着きました。

 

が、しかし、入居させて終わりではないことをここに来て痛感しています。

最初は良かった、ある程度自分のことは出来るし、部屋の中も工夫してシルバーカー無しで歩けるようにしたので夜のトイレも1人で行ける。あまり手のかからない入居者。

ところが母の気にしいな性格がだんだん出て来て、また以前から引きずっている妄想が出始めた。隔週で心療内科の往診があり先生もしっかり話を聞いてくれて、本人も変な事を言っている自覚もあるので慣れない環境での疲れの影響が出ていると思われた。

ところがここに来て夕食をあまり食べず、薬も飲みたがらないらしい。急遽明日心療内科の先生に診てもらうと連絡があった。

自分が職員さんに何をするにも迷惑をかけていると思い込んでいるようなのだが、今やっていることの方がよっぽど迷惑だよ💢

あ〜〜〜、面会に行くの、気が重いわ〜〜〜。

母がいなくなって楽になったし、今まで出来なかったことも出来るようになって、これから楽しくご機嫌になる事貯金をして行こうと思ってるのに。。。母のネガティブオーラがうつらないように離れる決断をしたのに。。。

それでも家にいた時も夕方、口に出さなくてもネガティブオーラ出しまくりだったのを見ていたから、それを目の当たりにしなくて済むのはありがたい。職員の皆さん、ありがとう😭

早く父のそばに行きたいんだろうけど、そんな気持ちでいたんじゃ迎えに来てもらえないぞ。

 

疲れ

新年なのに。。。心が疲れきっている。

今日からショートステイ。あれもこれもとやりたい事考えてウキウキするはずの日。

今8:35、迎え10時、早めになんか来ない。

母、もう上着着てる。。。せっかちにも程があるって〜の。

なんだかな〜。この人消えない妄想はあっても認知症の症状は無いのよね。

いや、これも認知症か何かなの?

あ〜、もう調べるのも面倒だし言うのもイヤ。

放っておこう。疲れた。気持ちが沈む。

施設探し早くしよう。もう限界かも。

 

寒さ対策

今年も残すところ〇〇日と言う言葉があちこちで聞こえます。

いろんなモノの値上げでお正月の準備もなかなかキビシイですな。

 

そんな中暖房費は切実です。今年はリビングと廊下の間のドアが閉められないという事態に陥っている我が家。理由はふたつ。

ひとつ目は単なる老朽化。ドアノブがバカになってちゃんと閉まらない。ドア自体もなんだかちょっと傾いている。

ふたつ目は母。トイレの行き来で開閉必須なわけで、足元が去年から更におぼつかなくなった母はドアノブをずーっと握ってドアを開ける。歩幅も狭いから引いて開けるのが危なっかしい。なので今年は開けっ放し。

 

設定温度を上げたとて大して室温は上がらないだろう。そうなると自衛策しか無い。

台所仕事用の割烹着は今や防寒着のひとつ。今年はその下に着るユニクロのコンパクトなダウンベストを購入。

そして昨日100均でいつもなら素通りの毛糸になぜか目が行った。何かに没入したい気持ちもあってちょっと大き目のものを一玉買った。

今日は朝から雨だったし母も在宅日、ひたすら手を動かした。

一玉では首回りちょうどの長さが限界なので、ループを作って昔処分したコートの変わりボタンを付けた。なかなかどうして暖かいぞ。ただ割烹着にこれを着けていると昭和のおばあちゃん感満載(笑)コートに合わせればそれも無さそうだから、近所の買い物ぐらいは大丈夫かな。

 

妄想が暴走する痛み

最近はあちこち調子を崩すことが多くて年齢を痛感する。

この前は右のかかとが痛いなんて言っていて、治まったな〜なんて思ってたら今度は左膝に激痛😖前から多少違和感はあって、しゃがんだり正座したりすると痛い程度だった。それが21日の朝から引きずって歩くほど痛い。膝の内側を押すと痛い。湿布を貼ろうがサポーターをしようが痛くて。。。

骨折の時にかかった病院は近いけど、はっきりした原因がわからない痛みなどで診てもらうのはちょっと。。。以前も原因不明の痛みで行ったけどイマイチ。

そんな時の整形外科オンリーの病院があるんだけど、なにせ混んでいるのが行くのを躊躇わせる。でも今回はこちらにお世話にならねばと翌日旦那に休みを取ってもらい母の事を頼んで行った。

私としては経験したことない痛みだったので、万が一入院とか言われたら。。。なんてとんでもなく大袈裟に妄想が暴走していた。レントゲンを撮って診察室へ。先生は人当たりの柔らかい優しそうな方。写真の説明も詳しくしていただいた。

骨は酷く変形していないものの、年齢なりのくたびれ方をしており、少し水が溜まって炎症を起こしていたらしい。薬で治す事も出来るようだが、母の介護があるので時間はかけたくないとなると治療は一択。「水を抜く」

ベッドに横になり膝の脇からチクリと針を刺された。これは見てたら卒倒モノだな。寝ててヨカッタ。水は大した量ではなく、抜いた後ヒアルロン酸注入してくれた。あとは痛み止めと湿布で対処。病院の行き帰りで小指の先程度は改善した?ぐらいでこの日は1日足を引きずって過ごした。

痛み止めのおかげで翌日はかなり改善。少し引きずるも動くのに苦はない。寒い雨の1日だったので出かけずに済ませた。

そして本日、朝からもう通常運転。痛み止めは昨日の朝飲んだきり。また痛みが出る怖さがあるが、変な歩き方を続けて他にダメージが出る方がイヤなのでなるべく普通通りに動く。

 

今月中は駅ハイで歩くのはやめておこう。このところ時間があれば歩きに行ってたからね。楽しい事をして痛い目に遭うのは本末転倒だしね。私は年代の境目に調子を崩すことが多くて、還暦を2年後に控えているけど今からこれじゃあホント困るよ。大きな病気や怪我をしないように気をつけたい。