まめサヤ日記

おいしいアンコになる為にサヤの中で日々奮闘中

私が専業なワケ

特にワケは無い…と思う。ただ複数の事を同時にこなすのが苦手ではある。

 

結婚しても正社員のまま仕事を続けたけど、ずっと実家暮らしの旦那に家事分担は期待できず、勤務時間も不安定で帰ってからのやることが山積みになりストレスも溜まる。数ヶ月でギブアップ。旦那に頼んで仕事を辞めた。

 

数年後ようやく息子を授かったが産後の肥立ちも悪く、育児だけでいっぱいいっぱい。もともと体力に自信無い上に年齢も37、抱っこしてないと寝ない息子との生活に少々産後鬱気味。

少し成長してもこだわりが強く、他の子と交わらない、何かがおかしいと思い療育へ通った。小学校入学まで。

入学と共に周りのお母さんに働く人が増えていく。でも私も!とは思わなかった。息子がまだちょっとグレーだったのもあるけど、ここまで全力で走って来たから休みたかった。

 

いろんな事が功を奏して息子はなんとか育って来た。そんな時PTAの本部に入った。学校での様子も見られるし、先生とも近くなれて一石二鳥だ。割と軽い気持ちでだったが、みんなが敬遠するPTA活動は私にはとても楽しいものだった。卒業後も学校応援団に入って今も時々お手伝いをしている。

 

息子が中学生になると義母を引き取って在宅介護が始まった。ストレスフルの毎日。発散はしたいけど外に出て仕事は無理だ。義母は認知症。福祉サービスが私の最大の味方。たくさん助けられて、勉強させてもらって、これまた辛かったけどいい経験だった。3年半で義母は旅立った。

そしてすぐに私の両親の介護が始まった。1年半で父が亡くなり、母はこれから在宅介護。もう仕事はできないなぁ。

 

こうやって書き出してみるとワケは無かったけど、節目節目で専業の道を選んだ私。50も半ばでこれから社会に出る勇気も無い。ならば助けになるかはわからないけど、学校のお手伝いや地域の活動で少しでも貢献できるといいなぁ…